心の灯火

a message for you 〜聖書への手引きとしてお役に立てれば幸いです〜

聖書を読む

まず始めに。聖書の一節からーーー。

 

マルコ第4章「タネを蒔く人」のたとえ (3節-8節)

(マタイ13:1-9、ルカ8:4-8)

「よく聞きなさい。種を撒く人が種蒔に出て行った。撒いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。他の種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐに芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。他の種は、茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆い塞いだので、実を結ばなかった。また、他の種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは、三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」(新約聖書 新共同訳より)

または、文語体より

『聴け、種撒くもの、撒かんとて出づ。撒くとき、路の傍に落ちし種あり、鳥きたりて啄む。土薄き石地に落ちし種あり、土深からぬによりて、速やかに萌え出たれど、日出て焼け、根なき故に枯る。茨の中に落ちし種あり、茨育ち塞ぎたれば、実を結ばず。良き地に落ちし種あり、生え出て茂り、実を結ぶこと、三十倍、六十倍、百倍せり』また言い給う。『聴く耳ある者は聴くべし』

この後には、このたとえを用いて話す理由や、「種を撒く人」の説明が書かれてあります。興味のある方は、ご一読をお薦めします。

この教えに限らず、こうした例は、よくありますね。これまでの自分自身を省みても、思い当たることはあるかと思います。例えば、いくら注意してもまた同じことを繰り返す人、その時だけ分かったようでいて、安心していたら、やっぱりその場限りのことだったとか、見込みがあってもやはり誘惑に負けてしまい、残念な思いをしたなど、失望することは、よくあります。ことに、この聖書に関しては、それが如実に現れます。ですから、個別に手渡しするなど、躊躇われるのです。聖書に対して、日本人は、抵抗感を持っているように見受けられます。とても残念な思いをしていました。その点、こうしたブログは、無理なく書くことができて、興味のある方に読んでいただけるので、有効だと思いました。

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さて、私自身、クリスチャンではありませんが、幼少の頃から、聖書には、絵本を通じて馴染んでいました。曽祖母から祖母までは、クリスチャンで、たまたまですが、教会の幼稚園に通わせてもらい、以来、神という存在をずっと意識して、現在に至っています。

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世界の3大宗教に共通しているものとして、『愛』があると言われます。親子の愛、または夫婦の愛が確かならば、それが全ての答えになるかとも思いますが、そうであるに越したことはありません。大事になさって下さい。

しかし、この世は、茨の世界。様々な誘惑、恐れ、心配事で、煩わされることも多いかと思います。そんな心配事にも聖書は、ちゃんと簡単明瞭に答えが記されています。本ブログは、どれだけ続けられるかわかりませんが、一つの試みとして始めてみます。よろしくお願いします。